社寺建築

大輪の社寺建築 大輪んでは神社・仏閣の設計から彫刻・施工・管理までを承っています。

大輪では神社・仏閣の設計から彫刻・施工・監理までを承っています。
山門、本堂、鐘楼、祠、屋根や柱の修復など、小さいものから大きいものまで、すべてお任せ下さい。
日本の木造建築技術には、世界に誇れるものが数多くあります。一つひとつの木の特性を見極め、適材適所で使っていく大工の目、一寸の狂いも無く木を組む技、デザインされた造形。
大輪では新潟県内の神社・仏閣はもちろん、新潟県外からも依頼を受けて製作しています。

社寺建築の特徴

特徴一
設計も宮大工が行います

社寺建築の設計は、その社寺にまつわる「いわれ」を聞き、そこから感じられたことをカタチにしていきます。その社寺が歴史的にどんな役目をはたしてきたのか、そこに重点を置いています。

設計も宮大工が行います
 
特徴二
彫刻も自社で行います

宮大工が社寺建築の彫刻までを行うことは稀なことです。一般的には宮大工と彫刻師は別の人で、宮大工が彫刻師に依頼して造っています。大輪では彫刻も行っています。それは彫刻も含めて全てを社寺建築を考えているからです。

彫刻も自社で行います
 
特徴三
実績があります

宮大工は父の代からはじまり、新潟県内の社寺を数多く手がけてまいりました。
[施工実績]
・佐渡市、実相寺山門新築工事、実相寺祖師堂修繕工事
・佐渡市 本光寺山門新築工事、本光寺国宝殿修繕工事
・栃木県日光市 不動尊祠新築工事   等々

実績があります
 

施工例

実相寺山門 新潟県佐渡市市之沢
実相寺山門 新潟県佐渡市市之沢

左右に翼を広げた門で、鳳凰をイメージしました。
複雑な木組みをし、前方は腕木で屋根をせり出す様式にしました。
門扉の欄間には鳳凰をかたどりました。

実相寺山門 新潟県佐渡市市之沢

私があるツアーに参加して、このお寺に宿泊する事になりました。
そこでここの上人様と出会いました。 その時にお寺の本堂の畳の床の板が割れて落ちそうになってたので、一宿のお礼にお寺にある材料を使って直させてもらった事がきっかけになる。帰り際にお寺に山門を造りたいのだが、誰か宮大工を知らないか?と声掛けがあり、是非親父にやらせて欲しい。話だけでもさせてくれとお願いした所、了承された。親父は上人様と話をして、私はこの山門は造れないとお断りしました。何故断ったのかというと、お寺のいわれや上人様の山門への並々ならぬ思いに自分が応えられる大工ではないと判断したためだそうです。しかし上人様も、もうお願いしたいんだと引き下がりません。何故そこまでお願いされたというと、十何年も前からの思いで、最後に仏さまにご奉公がしたいと山門建立を夢見ていてた。この大工にしようと話をつけて打ち合わせをしようとすると、何か問題が起きて話が出来ない状態が何年も続いた。未だ仏さまのお手配がつかないと嘆いていたが、真剣に念じていれば必ず仏の計らいがつく。そう信じておられたそうです。そんな折に私との出会いがあったとの事でした。

このお寺は日蓮聖人が佐渡に流配された際、毎朝袈裟を脱いで、朝日に向かってご両親に感謝していたといういわれのお寺で、思親の寺とも言われるお寺でした。
そこで上人様が、私に声掛けした際に、自分にやらせてくれと言わないで、是非父にさせて欲しいと言った言葉が、まさしくこのお寺に相応しい人を仏さまが使わしてくれたと確信され、頼み込んだそうです。 上人様は、ガンに侵され、余命半年との宣告を受けてからの決意をされ、山門建立を夢見られたそうです。

父もそこまで言われたのなら、自分が出来る精一杯をさせて頂きますとの事で話がまとまりました。

この山門で上人様が注文されたのは二点。
一つは、娑婆世界と仏界の仕切り線を造って欲しいとの事。
もう一つが、私(浩一)を棟梁とし、親父は頭として親子の絆と技の継承を育んで欲しい。との事でした。

そこで親父と二人、悩みに悩んだ末の形がこの山門です。

左右に翼を広げた門で、鳳凰をイメージしました。
複雑な木組みをし、前方は腕木で屋根をせり出す様式にしました。
門扉の欄間には鳳凰をかたどりました。
彫刻にもこだわり、この門をくぐる時には、諸天善神に試されるがごとくに見守られ、
心を清めて本堂に礼拝して欲しいとの思いで造らせて頂きました。


ここのお寺では、上人さまやその息子さんであられる、現上人さまから心身共に心からのお世話頂き、何不自由なく作業させて頂きました。
いつ思い出しても、お二人には感謝と尊敬の念はなくなりません。

上人さまが心から私どもに仕事を頼んだ事を喜んでくれたこと、本当に嬉しかった!

本光寺山門 新潟県佐渡市泉
本光寺山門 新潟県佐渡市泉

本光寺(ほんこうじ)・・・佐渡市(旧金井町)にある日蓮宗のお寺。

本光寺山門 新潟県佐渡市泉

このお寺には山門代わりの樹齢200年は超える二本のカラマツが植えられていましたが、一本が枯れてしまい、それを嘆いていた上人様が寺を護る山門が欲しいと思っておられたところ、実相寺の山門が建立されるとのうわさを聞き、実相寺上人さまとここの上人さまが話をされたことから紹介を受け、仕事をさせて頂きました。
ここのお寺のいわれは、佐渡流罪となった日蓮宗の開祖、日蓮聖人と共に佐渡へやって来た日興上人に帰依した日性上人によっておよそ700年前に開かれた。
承久の乱によって佐渡へ流されてきた順徳上皇が、京都から持ち込んだ4体の仏像の1体で、国の重文指定を受けている聖観世音菩薩を本尊として祀っている。また、日蓮聖人ご親筆の本尊なども安置されているお寺です。

仕事の話をする時に上人さまの計らいで、まずは聖観世音菩薩と対面させて頂きました。
その聖観世音菩薩を目の当たりにした瞬間、背筋に緊張感は走りました。
その遠くを見据えるような眼でわたしのすべてを見通されたような気持ちになり、このお寺との縁を結ばせて頂くことの重大さを心底感じた瞬間でした。

この山門を手掛けるにあたり、上人様の注文内容は、『簡素』でした。
本堂の外観がそれほど立派ではないので、それに見合う、またお寺が引き立つ山門に仕上げてくれとの注文でした。
私や親父は、「簡素」という意味をどう捉えればいいのか分かりませんでした。
簡素とは控え目。という事ではないと思ったからです。
そこで悩みつづけた結果、想いを馳せたのが大自然の造形でした。
自然の造形は誰かが手心を加えたわけでもなく、自然の流れのまま、あるがままの存在自体が美しくあり続けます。
そこでこの山門はそのお寺を含めた場所一帯を大自然と見立てました。
ある時は立ちふさがる山のごとく、ある時はすべてのものを育む木々のごとくになりえるような想いを表現してみました。

仕事をさせて頂いた期間は上人さまの優しさに見守られ、本当に心が穏やかで、木に私の想いを本当に一刻み一刻み想いを純粋に込められた贅沢な時間でした。

修繕工事について

山門代わりに植えられていたカラマツは、このお寺にある聖徳太子が彫ったと伝えられている重要文化財の聖観世音菩薩を奉っている建物の表札(縦約1メートル、横約2メートル)に姿を造り替えて奉っております。
また、観世音菩薩が奉られていた祠が長年の月日で朽ち、危険なために柱、紅梁、龍の修復作業をさせて頂きました。
左右の柱に登り龍、降り龍を配し、龍が護る奥に聖観世音菩薩がすべての衆生を救わんがために暖かく見守っています。
今は重要文化財のために滅多に人目に触れることがありませんが、年に一度だけ御開帳があります。

 
本光寺山門 新潟県佐渡市泉
本光寺山門 新潟県佐渡市泉

本光寺山門 新潟県佐渡市泉

昔、栃木県日光市のとある山中に、祠(ほこら)を造り、大自然に支えられ、生かして頂いていることに感謝したいという思いからそこに不動尊を奉りました。そこは村人が心を通わせる場としても親しまれてきましたが、長い年月により建物も老朽化し、不動尊自体も雨漏り等で被害を受けそうになっていました。そこで地元の大工さんにこの祠を造り変えてくれないかとの依頼があり造ろうとしましたが、イメージは出来てもこういった仕事はしたことが無く、どうしようかと悩んでいました。そこで思い立ったのが新潟の長谷川だったのです。私と父は、これも何かの縁だということで、お不動様に奉仕させて頂きたい気持ちになり、仕事を受けさせて頂きました。
この祠には祠周辺で育った檜(ヒノキ)を使用しています。
檜は神聖な木として昔から神社仏閣に使用されています。その土地で長年の寒暖風雪に耐えてきた木ですから、これほど最高な材料はありません。最高の材料を使い、その木を慈しみ、まだ見ぬ不動様に想いを馳せ、真剣に造らせて頂きました。また、昔ここに祠を勧請した人達の思い、職人の思いを後世にも伝えていきたい。そんな思いであえて昔の祠に使われていたそこを護りし龍の彫刻と紅梁をあえて使わせて頂きました。

祠は作業場で製作し、現地まで送り届け、あとの作業は地元の大工さんに託し、この度の作業は終わりました。

私たちは日々の生活に追われ、とかく自分の力で生きていると思いがちだと思います。今回の仕事を通して、大自然が我々を慈しみ、育んでくれているからこそ私たちが安心して生活が出来るんだと感じました。大自然に感謝の気持ちを持って謙虚な気持ちで生きる事の大切さを学ばせて頂いた仕事でした。